いい休憩のヒントは、
いいリズム?
寺内さんインタビュー #2
2023.8.22
#寺内千穂
#ミス・インターナショナル
#美しさと休憩
#インタビュー
いろいろな専門家に話を聞きながら、
休憩について研究していくシリーズの第3弾。
今回は2020ミス・インターナショナル日本代表の寺内千穂さん!
大会の裏話から美しさと休憩の関係まで、いろいろお話いただきました。
全3回の対談を読み終える頃には、
あなたも寺内さんの魅力のトリコになってしまうかも……?
QKさん
ミス・インターナショナルとしての活動は、お仕事が非常にお忙しい中での活動であったと思いますが、どうやって両立を...?
寺内さん
当時は目の前のことに必死だったのですよね。仕事をして、残業を終えて、家に帰ったら疲れて寝て。あれ、これ、ミスに関すること何もできていない、このままじゃ日が経って本番が来るだけだなと思って。
QKさん
ふつうはそうなりますよね‥。
寺内さん
なので、活動をしていたときは、休むことも意識していました。
QKさん
どんなふうに休んでたんですか?
寺内さん
自分がポジティブになれる時間が、早起きして過ごす朝の一人時間であったことを発見したんです。就活のときに気づいたのですが、そのリズムに戻そう、と。
QKさん
早起きですか!?
寺内さん
はい。5時とかに起きて、6時から8時半までスタジオを借りてウォーキングして、8時半から9時半までは自分の反省会の時間。9時半から夜までは会社というようなスケジュールでした。朝はがんばるけど、夜は特に何もしない、というリズムを意識していましたね。
QK
なんかむしろ、もっとストイックになってる気が…。笑
つらくなかったですか?
寺内さん
もともと朝方のバイトをしていたので、意外と大丈夫で。
あとは、夜はもう眠くなっちゃうのでいい意味で諦めてきたんですよ笑
朝がんばっているから夜はやらない!って感じでやってました。
QKさん
なるほど〜。自分ががんばれる時間を知ってたんですね!
寺内さん
はい。朝早く起きるサイクルが出来てからは、気持ちもポジティブになりました。結果、就活したときに、第一志望からの内定も頂けました。ミス・インターナショナルへの挑戦で焦りが生じてきたときも、そのことを思い出して実践してみたんです。
QKさん
そのリズムがほんとにあってるんですね。
寺内さん
そうですね。実際切り替えたことでポジティブになってきたので、やっぱり自分にとって「いいリズム」って朝型なんだなというのをここで確信しました。20代のうちに自分のリズムを知っておくことを、皆さんにもぜひおすすめしたいです。
QKさん
ぼくはずっと寝てたいんですが…
人間にはおすすめしたいです!笑
寺内さん
笑
QKさん
ちなみに、睡眠時間もたっぷりとっているのですか?
寺内さん
起きるリズムとはちがって、じつは睡眠時間そのものにはあまりこだわっていなくて。私は過去、摂食障害の経験もあって、だからかもしれませんが、数字にされてしまうと、焦りが出てきしまうので。何時間かならず寝よう!とかはないです。
QKさん
そうなのですね。他に、意識していることはありますか?
寺内さん
ほんの少しではありますが、朝、少しベランダに出てそこで深呼吸をします。一瞬でもいいから、自然を感じて背筋を伸ばすことが、ポジティブさや自信にもつながる気がします。
QKさん
いいですね。ベランダに出て深呼吸というのはみんな気軽にできることですよね。しかも前向きな気持ちになれるって、一石二鳥...。自然って、すごい笑
寺内さん
実家の近くが田んぼや畑で。幼少期の頃、ザリガニや虫を捕ることも大好きでしたし。なので、基本自然をやっぱり欲しています笑
QKさん
まさに休憩の原体験だ。
寺内さん
そうですね、今住んでいる家の近くにも、自然があるので、少し空いてる時間があれば、意識的に外に出ています。そこでじゃあ何をしてるかというと、多分無意識にボーッとしていて。それはただ何も考えずにいるということではなくて、あ、今こんな花が咲いている、とか、川がきれいだなあ、とか。それだけでも本当に心に余裕ができます。
QKさん
脳科学者の茂木先生にお話いだいたとき「やっていることの種類を変えることがすごく休憩になる」とおっしゃっていたのを思い出します。寺内さんも、朝早く起きて仕事前にやりたいことやったり、自然と触れ合う時間を作ったり。メリハリのリズムがとても上手なんだなって思いました。
プロフィール
2020ミス・インターナショナル代表
寺内 千穂
1993年生まれ。栃木県宇都宮市出身。大学を卒業後、日系航空会社にて客室乗務員を勤める。その後、広告代理店へ転職し、2019年に行われた2020ミス・インターナショナル日本代表選出大会にて歴代最年長でグランプリを獲得。特別賞のハッピースマイル賞とダブル受賞。コロナ禍で日本大会が開催できなかったため、日本代表を2年務める。現在は、ミス・インターナショナルの運営の傍ら、とちぎ未来大使として地元のPR等を行っている。